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私的スクラップ帳

私的スクラップ帳
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの報道に思う
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     全盲のピアニスト・辻井伸行さんが、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したことは、昨日から新聞やテレビで盛んに報じられている。そのときの演奏の様子は、さっそくYouTubeでも見ることができる(Cliburn 2009 Nobuyuki Tsujii)。
    生まれつき目が不自由というハンディキャップを乗り越えていきいきとピアノを演奏する彼の姿を見ながら、彼の意思の強さと、彼を支えてきた周囲の人々の暖かい心を思うと、なんともいえず感慨深いものがある。
     彼の優勝を知ったとき、思わずドイツのオルガン奏者、ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha 1907-1991)のことを思い出した。ヴァルヒャは、幼い頃に天然痘に罹患して失明した。しかしその後、周囲の人々に支えられつつオルガンやチェンバロの練習を続けた。なかでもとくに彼が大好きだったバッハの楽曲については、その膨大な鍵盤曲のすべてを、40歳頃までに異稿も含めて完全に暗記したという。彼は、1947〜1952年と、1956〜1970年の2度にわたって、バッハが作曲したオルガン曲を全曲録音するという偉業を成し遂げ、これらの録音は20世紀のバッハ演奏を代表する名盤として今でも高い評価を受けている(彼の演奏もまた、YouTubeで耳にすることができます。Chorale BWV645・BWV653b / Helmut Walcha)。

    * * *

     ところで、報道では辻井さんの優勝だけが大きく取り上げられていて、まるで今年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールでは彼1人が優勝したかのようである。じつは恥ずかしながら私も昨日まではそう思っていた。ところが今朝、AP通信が配信したニュース記事(Pianists from Japan, China win Cliburn (2009.6.8付/AP通信))を見て、このコンクールで実はもう1人の優勝者がいることを初めて知った。辻井さんと優勝の喜びを分かち合ったのは、19歳の中国人Haochen Zhangさんである。AP通信の記事によると、辻井さんとZhangさんはともに、アジア人として初めての優勝者だという。さっそくYouTubeで探してみると、Zhangさんの演奏風景も見つけることができた(Haochen Zhang - Bach BWV 848)。繊細で瑞々しい、見事なバッハの演奏である。

    【関連リンク】
    Van Cliburn Foundation
    | ニュース | 09:17 | comments(7) | trackbacks(3) | - | ログピに投稿する |
    平田副財務相:記事から浮かび上がる平田氏の嘘
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       自民党の平田耕一財務副大臣は26日、在任中の株取引自粛などを求めた「大臣規範」に抵触したとして辞任した。報道によると平田氏は、今月2日、保有していた大量の株式を市場価格の2倍近い価格で、市場外取引で売却したという。売却額は6億円以上にのぼる。 実は平田氏は、この問題が発覚した時点で、日経新聞のインタビューに答え、「事前に内閣府に官房長官あての届けを出した」として、問題ないという認識を示していた(「平田副大臣『普通の経済取引』――一問一答」(日経新聞2009年3月26日付43面)。ところが下記の読売新聞記事によると、平田氏が内閣府宛ての届出をしたのは、この株取引を知った総務官室が財務省秘書課を通じて平田氏に問い合わせた後の、今月18日になってからだという。つまり、「事前に届けを出した」という平田氏の回答は嘘だったのだ。そのうえさらに、平田氏は昨年12月の時点で、今回のような株取引が大臣規範に抵触する可能性があることを、内閣官房から指摘されていたという。
       辞任会見で平田氏は、「何ら後ろめたさはない」と言い切った。今回の株取引が大臣規範に抵触する可能性を内閣府から指摘されていたうえに、問題が発覚した後は「事前に届けを出した」と平然と嘘をついておきながら、よく堂々と「何ら後ろめたさはない」と言えたものである。

      平田財務副大臣が辞任 規範違反、事前に認識(2009.3.27/東京新聞)
      平田財務副大臣が辞任、6億円の株売却で引責(2009.3.26/読売新聞)
      | 政治 | 06:26 | comments(0) | trackbacks(2) | - | ログピに投稿する |
      ガザ侵攻:繰り返される非人道的行為
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         2008年12月末から2009年1月にかけて、イスラエル軍はガザ地区に対して大規模な侵攻作戦を実施した。この軍事作戦によるパレスチナ人犠牲者の数は1000人を超え、国連の調査では、そのうち約3分の1が子供だったという。このガザ侵攻では、人口密集地での市民に対する白燐弾の使用や、武器を持たない住民に対する無差別銃撃など、イスラエル軍による非人道的な行為が当時相次いで報道された。

         今週、そのガザ侵攻でイスラエル軍が行った犯罪的な行為が、また一つ明らかになった。国連が23日に発表した調査報告書によると、このガザ侵攻の期間中、イスラエル軍がパレスチナ人の子供を危険にさらしていたというのだ。報告書によると、イスラエル軍兵士が11歳の男児に爆発物が入っている可能性のある小包を開けるよう指示し、自分たちの被害を回避していたという。また、同じ男児に対して軍の前方を歩かせたり、建物に先に入らせるなど「人間の盾」として利用した事例があったという。

        ガザ進攻のイスラエル軍、子どもを危険にさらす 国連報告書(2009.3.24/CNN)
        イスラエル、パレスチナの少年を「盾」に利用(2009.3.24/朝日新聞)

         イスラエル軍がパレスチナ人の子供を「人間の盾」として利用するこの非人道的行為は、今回のガザ侵攻だけではない。2004年4月にも、ウエストバンク(ヨルダン川西岸地区)で13歳のパレスチナ人少年を軍用車両のフロントに縛り付けて、「人間の盾」にしていたことが明らかになっている(イスラエル軍の蛮行を示す1枚の写真(2004.4.23))。

         さらに23日には、イスラエル軍の兵士たちがアラブ人を侮蔑する図柄のTシャツを「一種の冗談」として作成し、着ていたことが明らかになった。報道によると、下記のような図柄のTシャツが製作されていたという。


        • アラブ人の妊婦に銃の照準を合わせた絵の下「1 shot 2 kills(1発で2人殺害)」
        • アラブ人の子供に銃の照準を合わせた絵の下に「the smaller they are, the harder it is(小さいほど難しい)」
        • モスク(イスラム教礼拝所)を爆破する図柄
        • アラブ人の赤ちゃんの死体の絵とともに「Better use Durex(コンドームを使えば良かった)」


        Israel army rides out T-shirt row(2009.3.23/BBC)
        イスラエル兵の背に「妊婦撃てば1発で2人殺害」(2009.3.24/朝日新聞)

         読めば読むほど気分が悪くなってくるような内容である。おそらく、イスラエル軍のうち少なからぬ割合の兵士たちにとって、パレスチナ人やアラブ人の命は軽い存在なのだろう。

        【過去の関連記事】
        レバノン攻撃:小泉総理の中東訪問は何だったのか(2006.8.1)
        【緊急署名】レバノン攻撃激化に反対の意思表示を(転載歓迎)(2006.7.22)
        国際司法裁判所 イスラエルによる分離壁取り壊しを勧告(2004.7.13)
        "Rafah under attack"(2004.6.2)
        イスラエル軍の蛮行を示す1枚の写真(2004.4.23)
        14歳少年の自爆テロ未遂?(2004.3.31)
        イスラエルによるヤシン師殺害(2004.3.24)
        イスラエルによるイラン攻撃計画(2003.12.22)
        パレスチナ問題特集(Aljazeera)(2003.12.17)
        日本で報じられないパレスチナ問題(2003.10.27)

        【関連リンク】
        パレスチナ・ナビ
        パレスチナ情報センター
        Rafah Kid by RafahKid
        | 人権 | 08:59 | comments(0) | trackbacks(1) | - | ログピに投稿する |
        笹川氏:えひめ丸事故で「森内閣が沈没」
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           自民党の笹川尭総務会長から、耳を疑うような言葉が飛び出した。24日の夜、都内で開かれた自民党参院議員の会合で、笹川氏は森内閣当時に科学技術政策担当相だったことに関して「私は森内閣で閣僚に任命されうれしかったんですが、運悪くハワイ沖で潜水艦がですね、こともあろうに日本の生徒を乗せた船の上にドーンと上がってですね、あれで、やむなく沈没しました」と発言した(自民・笹川氏:えひめ丸事故で「森内閣が沈没」 (2009.2.25/毎日新聞))。

           2001年1月に宇和島水産高等学校の練習船がアメリカ海軍の潜水艦と衝突したこの事故では、生徒ら9人もの命が奪われている。この人は、自分の発言内容がどれほど無神経なものであるかに気付かなかったのだろうか。発言を耳にする人々、とりわけ事故で大切な人を亡くしたご遺族の方々に対する配慮が、あまりにも欠如している。他人の気持ちを思いやれないような人が自民党の要職にあることに、憤りと悔しさを感じる。

           さらに信じられないのが、24日夜の笹川氏の発言を聞いていた会合出席者の反応である。今朝のニュースで、自民党参院議員の会合で笹川氏が挨拶をしている、まさにその場面が放映されていた。そこには、「やむなく沈没しました」という笹川の言葉につづいて、大勢の出席者たちの笑う声が収録されていた。いったい何がそんなに面白いというのか。事故関係者への配慮を欠いた心無い発言に笑い声をあげる彼らの姿は、不況のなかで苦しんでいる人々の痛みに鈍感な自民党の姿と重なって見える。

           笹川氏は翌25日、発言について質問する記者に対してこう答えている。

          「だって「沈没しちゃった」って、君らよく書くじゃん。「内閣沈没」って書くじゃん。だって、船が沈んだんだから、内閣だって沈んだんだよ」
          「遺族ったって、日本政府は全然関係ないじゃん。だって亡くなったのは事実だもん。別に遺族のことなんかに触れているわけじゃない。辞めたって言っただけの話。何がおかしいの?」

           思えば、笹川氏は、2008年2月の海上自衛隊のイージス艦と漁船との衝突事故の際も、行方不明中の漁船乗組員2人の捜索が行われている最中に、「残念ながら、もう恐らく生存している可能性はありません。なぜないかと言えば、救命胴衣を着けていないから」などと平然と発言している。2008年12月には、小渕優子氏が少子化担当大臣に任命されたことについて「なぜなれたか。子供を産んだからだ」と発言していたことも記憶に新しい。

           政治家は言葉が命である。その言葉に、周囲の人への配慮や思いやりが欠如するのであれば、そしてそのことに全く自分で気付かないのであれば、政治家として失格である。
          | 政治 | 08:58 | comments(0) | trackbacks(3) | - | ログピに投稿する |
          水俣病:国と県の不作為による被害
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            水俣病認定審査会が再開=1年7カ月ぶり、50人対象−熊本(2009.2.15/時事通信)
             2007年7月以来、活動が休止状態となっていた熊本県の水俣病認定審査会(会長・岡嶋透大分医科大学名誉教授)が15日、約1年7カ月ぶりに熊本市内で開かれ、04年の関西訴訟最高裁判決後に認定申請した50人の未認定患者の審査が行われた。
             会議は非公開で行われ、審査結果も公表されなかった。蒲島郁夫知事が答申を受けた上で正式に判断し、約1カ月後に結果を公表する見通し。同日の審査会は、医師らによる審査委員と専門委員の計13人が出席した。


             水俣病がはじめて確認されたのは、1956年5月1日である。当時のチッソ付属病院で小児科医として勤務していた野田兼喜氏は、類例のない同一症状を多くの患者が示していることに気付いた。院長の細川一氏と相談したうえで、「原因不明の中枢神経疾患が多発している」として水俣保健所へ届け出たのが、この日である。

             それから実に50年以上が経っているのに、いまだ多くの人が未認定患者として放置されつづけてきた。当時水俣地区周辺で採れた魚介類を口にして、その後手足に感覚障害が出た人の多数は、国の認定基準に合致しないとして未だ水俣病と認められていない。その多くが、水俣病認定審査会に申請し、仕事を休んで「水俣病の診断」という名目でおよそ一週間にわたる検査を受けさせられ、さらに認定されるか否かの判断が下りるまで少なくとも数年は待たされたのである。
             
             なぜこのようなことになったのか。それは、1956年に「原因不明の中枢神経疾患が多発している」ことが確認された時点で、国も県も疫学的な調査を行わなかったからである。そしてその原因が魚介類であることが分かった(少なくとも同年11月4日の時点で熊本県は水俣湾で獲れた魚介類が原因であることを認識していた)後も、これを食中毒事件として処理せず、食品衛生法に基づく魚介類の販売・授受・移動の禁止等の対策を取らなかったからである。

             そして水俣病の被害は拡大していった。

             1956年の時点で疫学的な調査をしていれば、これほどの被害拡大は防げたのだ。そもそも疫学とは、集団における健康と疾患に影響を与える要因に関する学問であり、公衆衛生と予防医学の基本である。疫学の重要性が認識されたのは、いわゆるブロードストリート事件からである。1848年、イギリスのロンドンで発生したコレラは、多くの死者を出していた。当時、ロンドンのブロードストリートという地区で医師として患者を診ていたJhon Snowは、コレラによる死者を地図の上にプロットしていった。そしてコレラ発生の中心が、この地域にある水道ポンプであることを突き止めた。彼は行政に訴え、この水道ポンプを撤去させ、コレラの被害拡大を食い止めた。重要なのは、当時コレラの病原体であるコレラ菌はまだ発見されていなかったことである(コレラ菌の発見は実にこの30年も後のこと)。病原を特定できなくても、罹患した人たちに共通する点と、罹患しなかった人との相違点を詳しく調査することで、被害拡大を食い止めるための具体的な対策を立てることが可能であることが分かったのである。そのアプローチは、世界的に有名なCDC(アメリカ疾病対策予防センター)にも受け継がれている。

             疫学的な調査の重要性は、当時の日本でも十分に認識されていた。例えば水俣病発生前の1949年3月、静岡県の浜名湖で、体の異変を示す患者93名(うち7名が死亡)が発生する事件があった。1950年2月から3月にかけて再び患者12名が発生た。このとき疫学的な調査によりアサリやカキが原因であることを突き止めた静岡県は、食品衛生法4条2号に基づいて、静岡県知事名でアサリなどの採取の一時禁止および貝類販売・授受・移動の一時停止などの措置をとり、被害拡大を防いだ。いわゆる「浜松アサリ貝事件」である。この事件は、食品衛生の基本として医師国家試験にも出題されている事例である。

             水俣病が問題となった当時、水俣地区周辺の沿岸部の住民の10〜50%に感覚障害があることが確認されていた。これに対して汚染された魚介類と無縁の地域では、感覚障害は0.2%(高齢者のみ)や0.09%(一般人口)といった割合でしか発生していなかった。被害を受けた人々に共通する点や、被害を受けなかった人々との相違点は明白だった。そして、たとえ当時病因物質が未知だったとはいえ、病因となる食品が魚介類であることは明らかだった。しかし国も県も、食品衛生法4条2号に基づく魚介類の採取・販売・授受・移動の禁止を行わなかった。

             これは明らかに、国や県による不作為である。それも犯罪的な不作為である。

            【過去の関連記事】
            水俣病訴訟:ダブルスタンダードを改めない国の怠慢(2005.10.6)
            水俣病:これほどの不正義が許されていいのか(2007.3.8)
            | 人権 | 09:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |